哲学対話その2

今日の問いはまた二つ!

 

まず一つ目から

 

1.われわれは自分が愛着を持っているコミュニティに対して他の人にも同じように愛着を持ってもらいたいと思うのはなぜか?そして、その気持ちは持っていていいものなのか、それとも制御すべきものなのか?

 

私たちのグループでは、まず、この他の人というのを同じコミュニティ内の自分以外と捉えました。

 

その場合、他の人に愛着を持ってもらいたいと思う理由は他のコミュニティに対しての対抗心というのがあるのではないかと感じました、

 

 

私も実際コミュニティはみんながコミュニティの事を思い、愛着を持っている方が他のコミュニティよりも上に立った感じがして好きです。

 

高校野球をしていた時も他のチームよりも団結力を作りたく、また仲の良さにもこだわっていました。

 

ここで感じるのは、コミュニティへの愛着というのはメンバー同士の仲の良さが比例しているのではないかということです。

 

私は、メンバー同士の仲の良さが、メンバーへの愛着になり、それがコミュニティへの愛着に繋がるのだと思っています。

 

また、グループで出た他の意見としては、

 

自己防衛のために他の人に愛着を持って欲しいのではないかという意見もありました。

 

それは、他の人にもコミュニティに愛着を持ってもらうことによって、自分だけがコミュニティに愛着を持っている

いうならば、仲間はずれを逃れるためです。

 

たしかに、一人で愛着をもっていても生まれるものは少なく、むしろ他の人からあいつなんでこんなに愛着持ってるのと後ろ指を刺されるかもしれません。

 

1の問いで生まれた答えはこんな感じです。

 

次の問いに移ります。

 

2.怠け者のB君を、人間として尊敬しなさいという教師の言葉はなぜ問題なのか?

 

私たちは、人間として尊敬しなさいという言葉には多くの裏の言葉が隠されていると思いました。

 

そこに隠されていると思った言葉を紹介します、

 

B君は勉強できないし、怠けているんだよね

 

だけど、同じ人間という生き物としては粗末に扱ったらダメですよ。

 

つまり、このB君という生き物小さいとこで見たらまるで尊敬できたもんじゃないよね

 

という意味です。

 

なんとも残酷な先生です。

 

この先生はどこが良くて、そのどこというのをきちんと明確にして褒めるべきだと思います。

 

人間としては表現が曖昧すぎるので、否定的な意味で捉えられてもおかしくないでしょう。

 

以上です!